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FM88.8 瞑想RADIO

瞑想のある毎日。

鞍馬山の信仰と、黄色いボール。

そういえば、くらま温泉、行けなかったー!


次こそは!

ということで、前回の鞍馬寺のつづきです。

 

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鞍馬寺へ向かう電車の中、
鞍馬寺のホームページに書かれた、ある文章に惹きこまれました。

 

「共に生かされている命」を共感し、

様々な命が支え合い響きあい、生かし合っていることに気づき、

私たちの「いのち」が本来、光り輝く宝珠であることに

目覚めて欲しいと願っています。

  (鞍馬寺のホームページより)

9年前にも、鞍馬寺に行ったことがありましたが、
おそらく、そのときには反応しなかったであろう文章。

つながりあっていることに気がつくことは、

本来の心であり、それは、本来皆それぞれが

輝いていることに目覚めること。

というようなメッセージに感じたのですが、

この意味が、なんだかとっても、わかるような気がしたのです。

 

スピリチュアルなブログっぽく

そのとき、このような絵が浮かんでいました。

たしか、雲黒斎さんの著書でも、このような絵と解説があったかと思いますが。。

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黄色いボール(輝・全体性)から、ABCDEFという突起物が出ています。

黄色いボールが、先ほどの文章でいうところの「光り輝く宝珠(ほうじゅ)」

(鞍馬の信仰でいう「尊天(そんてん)」

または、ワンネス、空、神、仏性として、よく語られているところです。

 

ここから出ている、突起物ABCDEFが、いわゆる「個人・いのち」になります。

Aさん・Bさん・Cさんは、
黄色いボールとの境界である「フタ」が取れているので、

黄色いボールの輝きが流入して(=黄色いボールと一つとなって)

同じ光で満たされていて、つながりあっている。

黄色いボールと分離されていたのではなくて、一つである。

 

という、「皆それぞれが輝いていることに目覚めた」

意識状態、存在状態にあります。

 

一方の、Dさん・Eさん・Fさんは、
黄色いボールとの境界にフタがあるので、

黄色いボールの輝きは流入しておらず、
分離した「個人」としての意識のほうが強くあるため、

「つながりあっている」「一つである」「皆が輝いている」

などとは、ゆめゆめ感じられないような、
意識状態、存在状態にある、と説明できます。

 

そして鞍馬信仰は、

ABCDEFを、人だけではなく、木々や海などの自然、星々

森羅万象のすべてが、黄色いボールの「顕われ」であり、

それぞれがつながりあっていて、生かし合っている命である

としています。

 


次回は、この絵を、

瞑想という観点から見てみたいと思います!

 

ありがとうございました。