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瞑想のある毎日。

「頭寒足熱」の格言にみる、真の中庸と瞑想について③


2月16日の誘導瞑想動画でのお話のまとめ、第3回(ラスト)です。

第1回では、「頭寒足熱」と「中庸」という、言葉の意味について。

第2回では、「頭寒足熱」と「中庸」について、チャクラをはじめ、霊的な伝統で言われていることを例に、少し詳細に眺めてみました。

「頭寒足熱」シリーズの最終回である第3回は、「頭寒足熱」と「中庸」、さらには「瞑想」との関係を、さらに掘り下げてみます。

 

瞑想がもたらす、「頭寒足熱」と「中庸」

「頭寒足熱」という格言をひも解いてみると、本当に満ちた「中庸」とは何か、ということと、瞑想するとなぜ満ちた状態・境地が訪れるのか、ということが見えてきます。

 というお話の要点の解説にあたって、これまで「頭寒足熱」と「中庸」について見てきました。

「頭寒足熱」、つまり上3つのチャクラは冷たくして、下3つのチャクラは暖かくすることで、自然摂理に沿ったバランスになったとき、それら上下のチャクラの中間ポイントである、「中庸」のハートチャクラに落ち着く(またはハートが開く)というお話を、今一度思い出してください。

そのうえで、瞑想中に起こっていることを観察してみると、瞑想こそ、これら「頭寒足熱」と「中庸」をもたらすものだ、ということが分かってきます。

 

瞑想中に起こっていることの一つに、瞑想の伝統において言われている、「霊的なエネルギー」が入ってくることが挙げられます。

上昇する陽のエネルギー(シャクティー)と、

下降する陰のエネルギーです。

エネルギーの質感的にも、上昇する陽のエネルギーは熱く、下降する陰のエネルギーは冷たいという、まさに「頭寒足熱」のごとく、身体中のエネルギーラインを駆け巡ります。

(熱いものと冷たいものが身体を巡るということは、「頭寒足熱」の作用によって、バランスが「中庸」に整ってくることは、想像に難くないと思います。)

そして、このエネルギーラインの交差する各ポイントこそチャクラであり、チャクラは、肉体においてはホルモンの分泌をつかさどり、肉体の大元であるエネルギー体においては、オーラやエネルギー体そのものに、影響を与えています。

上3つのチャクラと、下3つのチャクラの、ちょうど中間ポイントにあるハートチャクラの色がグリーンとして表現されることは、前回見た通りなのですが、ここでフルフィルメント瞑想におけるハートヤントラは、ピンク(またはマゼンタ)色であることを思い出してみてください。

 

ハートチャクラは、グリーン。

ハートヤントラは、ピンク。


同じハートなのに、なぜ違う色で表現されているのでしょうか。

瞑想によって訪れる「OKな感じ」「平安さ」といったものは、たいていハートのあたりで感じるものかと思いますが、そのようなハートにおける「中庸感」の周波数と、グリーンという色のもつ周波数が同じであることから、チャクラの性質そのものとしては、グリーンとして表現されます。

そして瞑想とは、そのようなハートチャクラの「中庸」という性質を作り、「OKな感じ」「平安さ」をもたらす、元となるエネルギーの流入が起こっています。

すなわち、赤い色としての陽のエネルギーと、白い色としての陰のエネルギーの流入です。

これら赤と白のエネルギーが混ざり合って、バランスを「中庸」に整え、ついには「OKな感じ」「平安さ」に至るため、この赤と白が混ざり合った「ピンク」を、「中庸」に整えるエネルギーの象徴カラーとして、採用しているわけです。

つまり、ここでも「熱いもの(陽のエネルギー)」と「冷たいもの(陰のエネルギー)」の流入によって、バランスが整う(=中庸になる)ということが起きています。

そして、これこそが、瞑想をすることによって、状況がどうであっても「OK」で、「満たされた」ような、どこか「落ち着いて」、「平安」で「揺るぎない」感覚がもたらされる、メカニズムであるのです。

 

「頭寒足熱」の実践にみる、本当に満ちた「中庸」とは

瞑想という、エネルギーレベルでの「頭寒足熱」作用によって、意識が「中庸」にバランスされていくことについて見てきましたが、肉体の細胞にダイレクトに「頭寒足熱」作用をもたらすことで、その「中庸感」をよりダイレクトに体感でき、それによって、本当の中庸についても、体験的に触れることができます。

 

肉体の細胞に、ダイレクトに「頭寒足熱」をもたらす方法。

それはズバリ、冷たい水と、熱いお湯を、交互に浴びることです。

(または下3つの陽のチャクラが活発で、しっかりしている人は、先生のように冷たい水を浴びるだけで、バランスが整います。)

冷たい水によって上3つのチャクラを、熱いお湯によって下3つのチャクラを刺激することで、「冷静さ」も「活力」も、どちらもアクティブにします。

それによって、意識は「中庸」にバランスされ、自然とハートに落ち着いた感覚になるのですが、この「落ち着き」は、口がポカーンと開いた不活発な落ち着きとは、まったく異なるものです!

むしろ、動も静も研ぎ澄まされ、高く振動している状態です。

まさに、先生のよく言われる「細胞がアライブ(生き生き)している状態」

 

それゆえに、この「落ち着き」は、動から静にかけて満ち、高く振動していて

「なんでも可能だ!」という意識状態、存在感覚となります。

そして、このバランス感覚こそが、本当に目覚めた真の中庸であるというのです。

 

瞑想における誤解 その1として、、「中庸のお取り扱いの注意」

「中庸」や「中道」というと、どこか現実世界からは一歩引いているようなスタンスであるために、ややもすると、「現実なんて、ただの幻想さ。観察者に徹するという中道こそ、リアル。すべては観察と気づきの対象でしかなく、現実創造なんていう幻のゲームには、まったく興味無いね。すべては完璧でOKである平安なこの場所を、一歩も動くつもりはないぜ。」といったような、どこか閉じていて、不活発な振動数、またはヨガの伝統で「重い・停滞」をあらわす「タマス」的な、鈍いリラックス、存在状態となってしまいがちです。

このような粗い振動数では、粗い振動数のものにしか気づくことができないので、「すべては観察と気づきの対象」「すべては幻想」としていながらも、そこには本当の気づきが無かったり、相変わらずその幻想の中で「寝ている」ものだったりします。

瞑想や、今回の「頭寒足熱」によってもたらされる、リラックスした、それでいて高い振動数(ヨガの伝統でいう「サットヴァ」)であるとき、もっと繊細に、あらゆることに気がついているので、「目覚めて」いるのですね。

 

瞑想における誤解 その2として、、「瞑想は便利な裏技ではない」

瞑想というのは、現実からの逃避であり、隠遁者のなせる行為であるとか、逆に、瞑想をするとつらい経験をスキップして、スイスイ世の中を乗りこなしていくことができる、といった見方があったりしますが、これは、どちらも正しくありません。

とくに深いところからエネルギーを動かす類の瞑想をされている方なら、身に染みていることであるかと思いますが、、良いことも、つらいことも、どちらも存分に経験することになり、本当の現実に直面させるのが、瞑想です。

むしろ、瞑想をしていないほうが、色んな心象・事象に目をつむったり、感じないようにしたり、無かったことにして、「現実からの逃避」をすることができたりします。(これは、高速道路を目隠しをして横断することにも例えられます。)

瞑想は、まるで「頭寒足熱」のように、冷たいもの、熱いもの、つまり嫌なことも、良いことも、ある意味ではどちらも、活気づかせるわけですね。

それらを、光という「知性」で、愛という「ハート」で、エネルギーをともなった「活力」で、今持ちうる、すべてのチャクラを開きながら全霊で超えてゆくとき、本当に満ちた「平安さ」と「中庸」が訪れる、といいます。

あらゆることを「見て」「聞いて」「味わう」、それによって、本当の「平安さ」や「中庸」に至るプロセスが、瞑想であるというわけです。

 

冷たい水なんか、浴びたくなーい!

すべてを味わうとか言ったって、冬に水を浴びるなんて、さすがに狂っている。。

そんなアナタに、朗報です!

半身浴をしながら、水を浴びるのでも「頭寒足熱」になるのでOK!

水だけを浴びるよりも、楽にできると思います。(by Hiroki先生)

 
今回のお話によって、ずっと前にスピリチュアルカウンセラーの江原さんのお言葉にあった、「熱いお風呂と、冷たい水風呂を、交互に入ると霊的に良い。」(←正確には、もっと違った言い回しであったかと思いますが。。)というのが、ものすご〜く腑に落ちるような気がしました。

そういえば、あの阿部敏郎さんも、サウナに入ったあと水風呂に入ることで、自分がいなくなって、ただそこで起こっていることを見ているような存在状態になる、というようなことをブログに書かれていたなぁ、、なんてことも、今思い出しました。

「頭寒足熱(瞑想)」は霊的に良い→心身のバランスが取れている→ただ在るという高い振動数の存在状態(悟り)に通ずる。


「頭寒足熱」、あなどれませんね。

 

先生は最後に、このように締めくくっています。

「頭寒足熱」のような格言、または誰かから言われる教え、自然摂理など、それらを本当に自分の人生を通して、(盲目的にではなく体験的に)理解することが大切です。

その中で、より自然の摂理を知っていって、より生かして、そのような自然摂理を自然と生きてしまうことで、人生の中に、幸いを広げていってほしいと願っています。

 

ありがとうございました。

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(この前の旅で見つけた、「くまモン」のサイン)