存在の科学
瞑想と科学のベクトル
きょうも、FM88.8まで周波数を合わせていただきまして、ありがとうございます!
これまで、(逆立ちをしても、何をしても)アタマで真実を知ることはできないということについて、見てまいりました。
真実は、いつでも「ひとつ」という性質を帯びていますが、それに対してアタマは、「分ける(ことで分かる)」機能に特化している(=分けられない・分からないものに出会うと混乱をきたし、機能不全におちいる。またはこの機能不全を回避するため、これまでの記憶に従って、機能を補完しようと、自動的な「分類」が起こる)ので、真実が「分けない・ひとつ・統合」というベクトルを持っているとすると、アタマは常に「複数・分類・分離」という、真実とは真逆のベクトル・宿命を持っていると言えます。
しかし我々は、「分ける・分類」するというアタマがないと、まっとうな社会生活を送ることができません。
たとえば、「これは危険」といったような分類ができないと、命が危ぶまれる。
それにしても、「分ける」ほうに偏りすぎな現代の習性であるかと思いますが、このバランスを取るために、「分けない」世界へと入ってゆくためのツールが、瞑想であると言えます。
瞑想とは、分けられたもの(虚像・幻想)から、分けられる前のもの(実像・実存・実在=真実)へと、バランスを取りながら移行してゆく過程です。
これに対して、あらゆるものを分断して切り刻み、分析し、精査することで真実に至ろうとする軍勢が、科学である、という見方ができます。
科学においては、対象を分断して分析することから始まるというその性格上、やはり往々にして虚像や幻想を伴うため、様々な副作用、悲劇が付きものでありますが、「もうこれ以上、分断することができない!」という最小単位にまで辿りついた途端、その背後に、「神」の存在を感じ始めます。
最小単位の世界の、そのあまりに精密すぎる設計図ゆえに、神のような「設計者」という存在を定義しなければ説明がつかないといった見解が、徐々に明らかになってきているのです。
存在の科学
また、最先端の科学であるほど、◯◯の「存在」という言葉抜きには語れないことは、ご存知の通りです。
ニュートリノの存在、ダークマターの存在、重力波の存在・・・
言わばハサミを片手に、物質界を構成しているものを一つひとつ切り取って、分析・研究することが仕事であった科学者の、そのハサミを握る手が止まり、いま、何かの「存在」を感知し始めています。
「存在」の解明こそが真実を明らかにし、その「存在」如何によっては、科学そのものがひっくり返ってしまうほどのウエイトを占めています。
真実と神へのアクセスを求めて、「存在」という分野にメスが入れられようとしていることは、、
「存在の科学」という時代に入ってきた、とでも言えるでしょうか。
いま、なんとなく「存在の科学」というワードを検索してみたところ、いわゆる科学本ではなく、瞑想の本がトップに出てきました。
- 作者: マハリシマヘーシュヨーギー,Maharishi Mahesh Yogi,マハリシ総合研究所
- 出版社/メーカー: 読売新聞
- 発売日: 1992/12
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超越瞑想を「再発見」し、その普及団体を創始した、大聖マハリシによる著書です。
瞑想とは、その大昔から「存在」こそが全ての癒しと真実の入り口になることを知っていて、存在を科学してきたという、伝統そのものです。
そして今、科学もまた「存在」そのものを、見つめ始めています。
瞑想、宗教と科学の統合は、もうすぐそこまで来ているということが、あらためて感じられてくるようです。
やはり、真実と、真実を求める心・行為(瞑想や科学)は、やがて「統合」するというベクトル・宿命を持っています。
そして恐らく「統合」とは、「存在すること」によってのみ、起こり得ます。
「在る」ことのパワーは、計り知れないものがある。
それをどこかで知っているがゆえに、今日も瞑想をしたくなるのだろうというのは、ちょっとカッコつけ過ぎでしょうか。
3/4 毎朝誘導瞑想のお話のエッセンス
① 瞑想者は、人の幸いを支援することができます。
それは時として、時空をも超えます。
ひとつは、エネルギーを送ることを通して。
もう一つは、起こっている流れを聡明に読み解いて、必要な助言とサポートをする、ということを通して。
相手を「自分のことのように」思って、共に見い出し、的確に支援するといったことができるようになります。
② 瞑想者は、転んでも、ただでは起き上がりません。
転んだときの傷を癒すことができるだけでなく、転ぶ前よりもパワーアップして、起き上がることになります。
これを、格言的にまとめてみます。
「瞑想者は、心の痛みや過去のネガティヴな印象、また、それゆえに閉じていた、自分自身の在り方と人との関係性を癒し、幸いに開かれた関係性を創ることができる。
乗り越えた先にあるものは、乗り越えたがゆえの、成熟し、開かれた、本当の幸せ。」
ご結婚、おめでとうございます♡
③ 瞑想という深いスピリチュアルな学びには、その道に習熟した教師を、自分にとって丁度良い位置に据えて(①②において、教師からの支援も良きに得ながら)、物事に当たっていくと良いです。
それによって、高く深いレベルで、物を進めていくことができます。
皆さまの幸せな毎日を、応援しています☆
というメッセージでした!
ありがとうございました。