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FM88.8 瞑想RADIO

瞑想のある毎日。

瞑想の経験がますますディープになる、瞑想中の意識の置き場所について。

FM88.8 瞑想RADIO 今日も元気に生放送!

今日もご訪問いただきまして、ありがとうございます!

間違えた。 おおきに!

生放送でお送りしております。

さて、昨日チラッとお話ししました、「瞑想中の意識の置き場所」についての話題です。2016春、いま、最も旬なテーマであるといっても良いでしょう!

この意識の置き場所については、3月9日配信の毎朝誘導瞑想の中でHiroki先生からお話しのあったものになります。

みなさんは、これ、試してみましたか?

って昨日も聞きましたね。しつこくて、ごめんなさい。

僕は試してみたところ、なかなかエガッた(よかった)ので、シェアさせて頂きたいと思ったわけです。うん、これぞ、旬のテーマ。

3/9 毎朝誘導瞑想のお話のエッセンスより

瞑想中、どこに意識を置いておこうって、迷ったことありませんか?

例えば、僕は電車をホームで待っているとき、意外と「手」の置き場所が定まらなくて、迷うことがあります。

手を気をつけして、直立不動で立っているのも、なんか真剣に電車を待ってるみたいでカッコわるいかなぁ、とか思ったりして、片方の手をポケットに入れてみたり、親指だけポケットに入れてみたり、両方の手をポケットに入れてみたり、用もないのに携帯を取り出してみたり、携帯をパカパカしてみたり(いまだにガラケー)、片方の足に重心を乗せてみたり、、まぁ要はちょっとカッコよく電車を待ちたいのか何なのか、いつも身の振り方に迷いながら、電車を待っているんですね。

それで、瞑想中もきっと、そんなことが自分の中で起こってるんじゃないかなと、いま振り返ってみたのですが。  別に瞑想中は、そんなことないですね。

いやー失敗したな、 この例え。 

とにかくですよ、瞑想中は特に人に見られているわけではないので、あんまり自意識過剰になるわけでもなく、そのため意識の置き場所についても、けっこう散漫になっているといいますか、気がついたら雑念に意識が吸い込まれてたり、、なことも、多々あるわけですよね。

そう、瞑想中は、別に意識の置き場所に迷っているわけではないけれども、だいたい意識は、野放しであることが多いのではないか!?と思うのです。

あなたも、野放し族ですか?(なんじゃそら)

なのですが、瞑想中、実は意識は野放しにしておいたほうが良い!というのが最近の、今更ながらの僕の発見でありまして、この前までシリーズでお届けしていました「ただ在る」から、この野放しの話に行きたかったのですが、これはまた近いうちにお話させて頂くことにしまして、わぁー要するに何が言いたいかというとですね、すみません、いつもより読みづらいでしょうか?この文章。 生放送なもので、、。

要はですね、野放しには野放しの良さがあるんですけれども、Hiroki先生の25年の瞑想経験と、数々のスピリチュアルリーダーから学んでこられたという、この我らが先達からのメッセージをリスペクトしてですね、試してみようではないか!という気持ちになったわけなんです。「意識の置き場所」というやつを。

ここまでダラダラと来てしまったので、簡潔にまとめますよ!いいですか?

いきますよ?

 

丹田

ハート

頭の中心

 

以上!!

ちょっと待って!まだラジオは消さないでください!STAY TUNED!!!

体、心、知性には、それぞれの重心がある、という話なんですよ。

体の重心としての、丹田。(おへその指3本分くらい下あたり)

ハートの重心としての、ハート。(そのまんまやん)

知性の重心としての、頭の中心。(眉間にある第3の目と、耳の上先端を直線で結んで交差するあたり。ってわかりますかね。。あとで述べます!)

それでさらに面白いのが、ずっと前の鞍馬山の記事でお届けしました「愛・光・エネルギー」も、これらに対応しているわけです。

これに気づいたときは、「うぉー!」と興奮しました。


丹田は、よく武道なんかで大切にされている部位で、気が溢れてくるところであるとされています。パワー、つまりエネルギーの象徴ですね。

ハートは、幸せとか、を感じるところであるというのも、なんとなく分かるかと思います。あと、存在を感じる場所でもあります。「私」というとき、よく手を胸に当てるジェスチャーをしますよね。

そして知性(頭)とは、深まるほどにこの現象世界を照らすものということで、に象徴されます。

瞑想中に流入してきて、それによって存在が開花するエッセンスとも言われている愛と光とエネルギーが、物理的な肉体においての、それぞれの重心に対応していたわけなんです! すごーい!(ためしてガッテン風)

それで、具体的なやり方についてですが

瞑想に入るとき、まず丹田をグッと、前に突き出すようにします。

土台を盤石にするイメージでしょうか。それによって、背骨もそり立つイメージです。

つづいて、肩を開くのと自然に連動するような形で、ハートを開きます。

それで頭の中心についてなのですが、中心というとなかなか難しいので、「だいたいこの辺かな?」という頭の中心あたりを狙って、目を閉じたまま見つめるようにします。(たしかに、聖者ババジの絵で、ババジの目が上を向いている形で描かれているものがあります。)

それで、肝心な意識の置き場所についてですが、以上の3点を作ったら、あとは「どこでもない、偏在の場所」に意識を置いておくそうです。

どこでもない場所に置く。

これは、先ほどの「意識を野放しにしておく」にも、かなり僕の中で通ずるところがあるのですが、ポイントは、この3点を作ることで、3点が満ちきってきた先に自然と至る、「どこでもない場所」ということになります。

 

「意識の置き場所」、、、

 

結局、どこやねん!!!  

 

僕なりにやってみた感想なのですが

頭の中心あたりを、内なる目で見つめながら瞑想していると、なんだかグワーっ!と、どこかに連れていかれるような感じがしてくるのですが、このグワーが続いていくと、最終的に、訳が分からなくなってきます。

それで、この訳が分からなくなったあたりが、「どこでもない、偏在の場所」に意識が置かれている状態なのかな、なんてことを思いました。

まあ、多分違うと思いますが。

詳しくは、Hiroki先生に聞いてください!(言っちゃった)

頭の中心に加えて、頭頂のあたりも意識すると、雑念が湧かなくなるといったお話や、眉間の間にある第3の目の裏側あたりに、何も考えられなくなるスポットがある(実はここが頭の中心で、レントゲンを撮ってみても、この部位が空洞になっていることが外科的にも判明しています。神道においても、この部位は神聖視されているそうです。)という話など、ここはナカナカ、探求の余地があって面白そうです。

ただ、この頭のあたりを意識し過ぎますと、いわゆる宇宙にボーン!して「イッて」しまう人になって危険(デンジャー)という説もあるので、気をつけてください(笑) いや、多分これは笑えないです。紹介しておきながら、なんかスミマセン。。良い子はほどほどに、お願いいたします。

そんなこんなで、分かったような分からないような感じで、この記事が終わろうとしていますが、みなさんも良かったら、「意識の置き場所」、試してみてください!

そして、何か発見しましたら、ぜひシェアしてください!

 

ありがとうございました!

なんかスミマセン。

 

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