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瞑想のある毎日。

清里瞑想リトリート11日目!(最終日)

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本日、無事に清里瞑想リトリート10泊11日の日程が、終了しました。

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最終日は、リラックスタイム。

台風が接近しているにも関わらず、南アルプスが綺麗に浮かび上がる眺望に祝福の感を得ながら、野わけさんの新鮮で美味しい、こだわりの朝食に舌鼓を打ちました。

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朝食中に突然、野球を始める先生。

(この直後、ボールを打ったバットが砕けます。)


温泉の後に行ったキープファームでは、富士山が見えました。

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サポートスタッフとして参加させて頂いた、今回のリトリート。

これまでずっと、瞑想合宿のサポートをしたいと深いところで願っていたこと、そして本来、そういうサポートとしての活動に携わることが喜びであり、好きであることを思い出しました。

いえ、思い出す前に、実際そうであることを知っていたからか、嬉しいことだけでなく、必ず痛みも経験するであろうことを、どこかで感じていました。

今思えば、「今回の合宿で瞑想できる時間があったら、観音マントラで瞑想しよう」と決めていたのも、そんな痛みを感じることをある程度予見していた、またご参加の皆さんにとっても支えというか、癒しになればという気持ちも含んでいたかと思います。

リトリートはどうだったか?と尋ねてくれた方々に、まだリトリート中であった為に、どうしても表現できなかったことが、一つだけあることをお許しください。

それは、リトリートの最初の最初から、最後の最後まで、とにかく胸が痛かったことです。

「みんなの為に、何もできていない。」という気持ちからでしょうか。

この胸の痛みを感じない日は、とうとう1日たりとも有りませんでした。

光だったのは、とにかく皆さんお一人お一人の存在です。

車でのお出迎え、お見送りの中で、そんな胸の痛みは、人知れず癒されていました。

ご参加の皆さんが、救いでした。

何をするとかではなく、確固として存在していることこそが、

きっと癒しであり、一番大切なことなのではないか。

そう教えてくれたような気がしました。

それが、心の支えになっていました。

普段、瞑想をティーチングされている先生方は、一体どれだけの痛みを覚え、痛みゆえの愛の場所から、どれだけの痛みを超えてきたのか。

スタッフという立場に在った中で、そんなことを心の真ん中で想ったことも、スタッフならではの感覚といいますか、ひとつ大切な気づきに触れたようでした。

リトリートに参加したからといって、すべてが一筋縄で上手くいくとは限らないかもしれない。

でも、その前途は、必ず明るい。

 

リトリート中、ずっと日本近海に停滞していた台風が、リトリート最終日に抜けたこと。

そして最後、清里から帰る直前、明るく輝いていた太陽は

ご参加のすべての皆さんの素敵な表情は

たぶん一生、忘れないと思います。

 

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ありがとうございました!