大海の一雫と、瞑想。
きょうもFM88.8 瞑想RADIOにアクセスいただきまして、ありがとうございます!
今朝の誘導瞑想は、茨城の水木海岸からの配信でした。
「誰の中にも、大海の一雫がある。」
この言葉に、心の深いところが反応するのを感じます。
我々は、大いなる源という大海より生まれ出でた、一雫(ひとしずく)であると言われますが、よくスピリチュアルな本を読んでいた時期は、このことを頭の中で「そういうものなんだなぁ」くらいに思っていました。
それから、沢山の瞑想を重ねてきた今だからでしょうか。
その一雫とは何ぞや?ということを想うとき、
「いまここに存在している」ということが、
そんな大海の一雫であることの、紛れもない確証なのだということを、
ごく自然と、感じるのです。
海水は塩っ気があってショッパイですが、
大いなる大海と、そこからの一雫の味とは、
「存在」の味、とでもいうべきものなのだと思います。
「味のあるヒト」とは、そんな本来の姿(存在)を露わにした、
「存在感のあるヒト」である、とも言えそうですね。
今、「本来の」と書きましたが、
瞑想をすると、よく「本当の自分になれる」
「本来の自分に還る」などと言われます。
このブログでも、
よく「本当の」「本来の」なんて言いますが、
瞑想について語るときの「本当の」というのは、
「嘘」に対する「本当」という意味で言っているのではなく、
「本当」や「嘘」といった言葉の入り込めない領域、
「本当」も「嘘」もない感覚世界のことについて、言及しています。
「存在」を前にしたとき、本当や嘘といった言葉は、
大海のモズクとして、消えてしまいます。
瞑想がいざなうのは、そんな言葉にならない、
本当の世界である「存在」「大海の一雫」です。
瞑想とは、
この大海の一雫となり、
この大海の一雫を味わいながら、
大いなる大海である「存在」という味を思い出し、
味わう時間なのだと思います。
ありがとうございました!