すでに知っている場所から生きる、瞑想者。
きょうもFM88.8 瞑想RADIOまでアクセスいただきまして、ありがとうございます!
旅って、いいですね。
色んなことを感じたり、哲学的な思索が、次から次へと沸き起こったり・・
瞑想することも、また旅に似ているものだと思います。
瞑想者が、現実逃避をした隠遁者などというのは大きな誤解で、その実、場合によっては瞑想をしていない人よりも、ずっと多くの現実を見たり、痛みを感じたりすることになります。
旅というのも同じように、何かから逃げているのではなくて、むしろ色んな感情や出来事に、直面したりする機会です。
瞑想においても、旅においても、人生においても、
この「直面する」というのが、色んな意味でキーポイントになっているような気がします。
この世に生を受けたのは、アタマで何かをこねくり回しながら何かをする為でなく、ただ、「直面する」こと。
それの繰り返しによって、己を知るため(または己を知りたい)という、衝動からではないでしょうか。
瞑想者は、「直面」し続けます。
そして、それ以上でもそれ以下でもない場所で、
本当のリアリティを見続けます。
それによって、アタマで「知る」ことでなく、
すでに「知っている」ところから、生きることになります。
叶えようとするのではなくて、
叶うことを「知っている」って、
ものすごく強力なパワーだと思います。
すべての自然は、
そのようなものを動力としているようにさえ感じます。
引き続き、青森から。
奥入瀬渓流↓
水は、色んなものに「直面」し続けながら、柔軟に形を変えて、大海に向かってひたすらに流れていきます。
今日は、津軽半島を臨む浅虫温泉というところに泊まっているのですが、水の神様としての弁財天様が祀られているのが、旅館の部屋から見えました。
この頃の旅では、必ず、弁財天様にお逢いすることになる不思議。
ありがとうございました!