瞑想で「〜のために」が止むと、広がる世界のこと。
きょうもFM88.8 瞑想RADIOまでアクセスいただきまして、ありがとうございます!
今朝、瞑想をしていたときに、感じたことがありました。
よく「感じきる」ことで、その感じきった対象は「消える」「溶け去る」と言われますが、「消す」「溶かす」ために感じきろうというのは、違うのではないか。
「〜のために」を取り去って、ただ感じること。
これが大切なことである、という感覚でした。
「〜のために」を脇に置いてみると、「〜ために」を支えていた心、または感情のみが、残ることになります。
この心、または感情を感じること。
この心、または感情と共にあること。
それは、「今を生きる」ということ。
瞑想をすることは、今に在りやすくなる習慣です。
今に在ると、すべてが「収穫と実り」だけになります。
感じるということは、それがネガティヴなものであれ、ポジティブなものであれ、一つの収穫であり、すべてが例外なく、魂の喜びなのではないでしょうか。
ただ感じていると、収穫と実りだけしかない世界が広がります。
そして、このことを心の底から実感するのは、そう遠くない未来であるような気がしてくるのです。
ありがとうございました!