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FM88.8 瞑想RADIO

瞑想のある毎日。

瞑想が人を自由にする摂理のこと。

きょうもFM88.8 瞑想RADIOまでアクセスいただきまして、ありがとうございます!

『瞑想は、瞑想後の人生時間を、創造者として主体的に(被害者としてではなく)生きることのできる割合を、高めるさせることとなる。』

今朝の誘導瞑想は、このようなメッセージでした。

その背後には、瞑想=創造の源としての空(くう)と一体になる という摂理があります。

ちょっと、難しいでしょうか。

瞑想がもたらす「創造的=自由」を紐解く。

創造の源と共に在る時間を濃く持てば持つほど、それだけ源と一体になった(=宇宙の自然な流れに乗った)「創造者」として、生きることになります。

その一方で、「創造的に生きたい」という願いが元々ある人ならまだしも、「創造的に生きなさい」と言われると、なんだか押し付けがましいな・・と、良い気持ちのしない方もいるのではないでしょうか。

「どう生きようが、私の自由じゃないか」、と。


この頃思うのは、

「創造的」こそ、自由なんじゃないかということです。


この世界とは、固定されたものではなく、本当は一瞬一瞬、崩壊と創造を繰り返しながら、姿形を変えているそうです。

テーブル、椅子、木々、建物・・

一つとして固定化されているものはなく、時間も物質も、人間の意識の「そういうもの」という認識(固定観念)が、それらに連続性を持たせているがゆえに、「時間・物資」として、認識されているだけに過ぎない。

つまり、ある一定の固定観念という"不自由"をベースとして、社会生活を営んでいるわけですが・・

「創造的に生きる」とは、一瞬一瞬姿形を変えている、その世界の本当の姿に同意して生きるということに、他なりません。

一瞬一瞬、姿形を変えている世界を受け入れ、これに影響を与えることで、次の一瞬を自在に創り出すことができる。


まさに、「自由」だと思います。


「創造なんかしたくない」という態度は、従って、とても勿体無いことに感じられてきますし、「世界は固定されたもの」という不自由に同意しながら、「誰がこんな世界(状況)にした」という、さらなる不自由(被害者意識)を招く、不自由が不自由を呼ぶスパイラルに等しい態度であると言えます。

「世界は、あなたは、常に流動的であるというのが真実であり、したがって、あなたは常に自由なのだから、この自由という真実の姿、ありのままの姿を、存分に生きてほしい。」

"創造的に生きなさい"という言う時の、その心には、このような想いがあります。

そして、「創造的に生きたい」「一瞬一瞬姿形を変えている世界を、ありのまま受け入れたい」と思ったとき、いくら頭や意志の力を使ったところで、そのように生きることは難しいです。

瞑想によってこそ、一瞬一瞬、姿形を変えている(創造し続けている)、その世界の真の姿と、同調していく(=創造的になっていく)ことができます。

被害者の立場からではなく、世界と主体的に関わっていくことができます。


「創造的に生きる」とは

瞑想によって同調する

その「本来の姿を、自由を、

選択する」という行為です。

 

瞑想によって、「自由」というエキサイティングな旅は

いつでもどこでも、スタートさせることができます!

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ありがとうございました!