FM88.8 瞑想RADIO

瞑想のある毎日。

自由に行き来できるという豊かさ。

きょうもFM88.8 瞑想RADIOにアクセスいただきまして、ありがとうございます!

今朝の配信での『自然と都会を行き来する』ことについてのお話を聞きました。

以前、瞑想で「豊かさのマントラ」を実習していたときのこと。

そのとき、「豊かさ」というのが、一つ自分の人生にとってのキーワードになっているみたいだぞ!ということに気づきはじめて、さて、「本当の豊かさって何だろう?」と考えたことがありました。

そこで思い浮かんだ「豊かさ」とは、自然の場所で土をいじりながら、自然と共生するようなライフスタイルです。

もともと冒険好きだったことも手伝って、さあいよいよ地方移住だ!というところまでテンションが上がりましたが、先生に一刀両断されてしまいました。


そのときに聞いた話で、フルフィルメント瞑想の創始者であるボブ・フィックスさんは、一度の思いつきでは行動に移さず、同じようなことが3度、思い浮かんだりメッセージが来たとき、それでもまだ行動せず、そのときに初めて、「よく見てみる」ことをされるということでした。


それから自分も、あらためて、その豊かさとして信じていた「自然暮らし」について、見つめてみました。

そもそも、「自然の中で暮らしたい」と思ったのは、まず自分にとって「自然」という要素がすごく大切なものに感じていたことと、例えば都内に住むことで高い家賃を払い続け、クレジットカードの返済のために働くといったサイクルで生きるよりも、最低限必要なだけ働いて、あとは自然という教師とともに在る時間を持つことのほうが、ずっと豊かであると感じられたからであります。

ところが、そのことを一つ一つ見ていったときに、あるときからふと、その「自然暮らし熱」が、急速に冷めていくのを感じました。


それは他でもなく、瞑想を重ねることで、あることに「ハッ」と気がついたからでした。


「自然の中で暮らす」という豊かさも、確かにあるだろう。

でも、本当の豊かさとは本来、自然の中で暮らすこともできれば、経済的な余裕とともに都会での暮らしや仕事・役割を全うすることもできるという、この自然と都会を自由に行き来できることこそ、本当の豊かさなのではないだろうか。

と、このように思い始めました。

 

『都会暮らしというお金に縛られた暮らしよりも、自然暮らしをマスターすることで、お金の縛りから自由になろう!真の豊かさを手に入れよう!』というようなキャッチフレーズをよく耳にしますが、きっと、お金という縛りから解放されることを目指して田舎に引っ越すというのは、実はその裏でお金に縛られているからこそ取る選択であって、本当にお金に縛られない自由な生き方というのは、お金に縛られることと、お金から自由になることを、両方自分の意志で、自由自在に行き来することができることなのではないかと思います。

都会で暮らす必要のあるときは、都会に暮らし、自然の中に入る必要のあるときは、自然に入る。

自然の中で養われる英気が、都会での活動に活かされることで、自然暮らしと都会暮らしが、互いに相乗して良い影響をもたらし合う。

 

これが、本当の「豊かさ」であると感じます。

 

そして、いわゆる「悟り」というものも、これに似ていると言えるのではないでしょうか。

つまり「悟り」とは、開かれたらそのままイキっぱなしという類のものではなく、実はあらゆる意識階層を、自由に行き来することができることをもって、「悟り」と言うのだそうです。

つまり、悟りの状態にもなれるし、悟っていない状態にもなれるという、自然と都会を自由に行き来するような、自由自在な有り様と言えます。

なので、「あの人は悟っている」「あの人は悟っていない」という物言いは、「悟り」というものを静的に見ているという意味でナンセンスであり、「悟り」という本来の自由で動的な描写からは、外れてしまっていると言えます。


悟ったり、悟っていなかったり、幻想であると看破したり、幻想にまかれたり、分かったり、何にも分かっていなかったり、自然に入ったり、都会に入ったり、ということを、自由自在にできること。

瞑想とは、この「悟り」というものに代表される、自由自在な「本当の豊かさ」というものに、心を開かせます。

 

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ありがとうございました!