私の願いと、公の願い。
きょうも、FM88.8まで周波数を合わせていただきまして、ありがとうございます!
"願い"というものは、『私の願い』だけでも叶わないし、『公の願い』だけでもまた、叶わないものであると言います。
では、どんな願いが叶うのかと言うと、『私の願い』と『公の願い』が、重なるところであるそうです。
『個的(純粋)な願い』と、『宇宙の意志』が重なるところ、と言い換えても良いかもしれません。
瞑想の教室でも、「純粋な願いと、大いなる宇宙の意志は、深いところでは同じ」、と学びます。
今朝の配信担当を教室で終えてから、
「自分の願いと、公の願いが重なるところは、どこであるか?」ということを、教室のパールヴァティーの像と向き合いながら、しばらく自問していました。
"しばらく"と言っても、その自問を始めた途端に、回答は降りてきたようです。
(それは、)「あなたが知っている。」
ー この場合の「あなた」というのは、誰の内にもある、"神聖な場所"や、"静寂"のことかもしれないと感じたのは、今日がクリスマス・イヴだからという理由だけでは無いように思いました。
「知ってる」場所に佇む時間である瞑想を、ますます大切にしたい。
そんなことを感じた、今日クリスマス・イヴでした。
ありがとうございました!