奈良から、瞑想RADIO発信!の巻
FM88.8 瞑想RADIO、天川村からこんにちは。
今夜もFM88.8にチューニングしていただきまして、ありがとうございます。
というこで、やってまいりました、奈良県天川村!
の前に!
まずは、奈良県の大神神社に、初めて行ってまいりました。
写真、でか!!!
でも本当、これくらいの存在感をもった、「聖域」でありました。
ここの神社さんの特徴は、
鳥居が無いことと、三輪山というお山そのものが、御神体であるということです。
その御神体であるお山に、今回、登拝させて頂いてきました。
しかし、このお山の中、写真撮影は禁止。
下山した後は、お山であったことも、すべて口外は禁止であるとのこと。
口外の禁止。。。
ブログに書けねーじゃん!
でも、何を感じたかくらいは、書いてもいいですよね?
今回ご一緒させていただきました、あるヨギの瞑想教師(?)の方から、
フンドシをお借りして、なんと、滝行までさせて頂きました。
やはり、Hiroki先生が常々言われているとおり、
冷たい水を浴びることは、いろいろなものをクリアにしてくれると感じました。
それは、ただの冷たい水ではなく、ある種の霊的な、、
おっと、口外は禁止でした!
やばい、なんだこのRADIOは。
口外禁止のRADIOなんて、ただの壊れかけのRADIOではないか。。
お山の空気を胸いっぱいに吸い込むと、
純粋な何かを、思い起こさせてくれます。
その純粋な何かが、何であるのか。
次なる目的地、天川村にて、それがだんだんと、
ハッキリしてきたのです。
いざ行かん、天川村へ!
昨秋の「観月祭」以来の、天川村。
まさか、こんなに早くに天川村に戻ってくるとは。
2016年は、一寸先に何が起こるか分からないほど、
様々なことが目まぐるしく動き出すという年であるそうですが、
そんな年を象徴するような、天川への再訪でした。
日が暮れた頃に天川村に到着しましたので、
天川の写真は、また明日撮って、アップしますね!
今夜は、天河大弁財天社さんにて、
明日の節分祭のまえの、「神迎え神事」に参加してまいりました。
天川村の空気は、また一段と冷え込んでいて、
ご神気ともいうべき、霊的な静寂まで漂っているようでした。
ご神事の最中や、ご神事のあと、
今回の旅にご一緒させて頂いたみんなで
神社の拝殿前で瞑想をしていたときのこと。
大神神社で感じた、「純粋な何か」が、何であるのか。
それがにわかに、感じられてきたのです。
瞑想をしたいと思ったきっかけ
その純粋な何かとは、
瞑想をしたいと初めて思ったときの
気持ちそのものでした。
「ありのままを、味わいたい」
味を、
匂いを、空気を、
感情を、愛を、
癒しを、感覚を、心を。
それを感じることを妨げ、抵抗しているものがるなら、
それすら感じることで、癒し、ほどき、
真実のままを、味わいたい。
そこに、人生の本当の果実が、あるのではないか。
悟りや、啓発といった言葉ではなく、
この気持ちがすべてであり、それは今も変わらないということに
気がついたのです。
以前、天河神社の宮司さんに、
拝殿で瞑想をしても良いかとお尋ねして、お話させて頂いたとき、
このようなお言葉を頂きました。
「メディテーション(瞑想)は、
なにか高次のものと繋がろうとするのではなくて、
いまここにある万物、自然、すでにあるものと、
ただ共にいることだよ。」
天河神社の夜空に散らばる、満天の星空は、
「すべては許されている」と、ささやいているようでした。