瞑想と瞳の輝きのこと
リトリート ビフォーアフター
きょうも、FM88.8まで周波数を合わせていただきまして、ありがとうございます!
これからチョコチョコと、先日まで茨城県日立市ヒーリングハウス希望の家にて開催されておりました8泊9日の瞑想リトリートの中で感じたこと、気づいたこと、また、そんなリトリートを経ての変化などを、レポートしてみたいと思います。
きょうは、青山の教室にて、一日瞑想会午前の部に参加しました。
高野山大学を卒業されて、瞑想教師も志していらっしゃる方と、教室で久しぶりにお会いしたときのことです。
隣に座らせて頂いていたのですが、その方の、「存在感」「静寂感」のようなものが、驚くほどリアルに、僕の心に飛び込んできました。
それはもう、疑いようのないもの。
その方の「積み重ねてきたもの」までが、香ってくるようでした。
あ、これはきっと、リトリートでたくさん瞑想したからかな、と感じました。
瞑想は、深いところ・根源的なところに心を開くといいます。
リトリートでたくさんの瞑想を重ねたことで、そのような、深く根源的な「存在」というものを通して人を感じるアンテナの感度が高くなっていたからこそ、その方が宿していた存在感を、感じ取ることができたのかもしれません。
誰にも言っていなかったこと
きょう先生から、「目にチカラ、光があるようになった」という感じのことを言って頂いたのですが、確かにリトリート後、「目がキラキラしている」と言われることが何度かありました。
それで一つ気がついたことに、リトリート中、またはリトリート後において、まだ誰にも言っていなかった、ある「変化」がありました。
僕自身の変化というより、周りの人に感じる変化ー
それは、「うわ!この人、綺麗な瞳をしているな」と感じることが、多くなったということです。
心の底から綺麗だと感じる瞳の持ち主に「綺麗な瞳をしていますね。」と伝えることは、若干の勇気を必要とします。
そのため、まだ誰にも直接的に伝えていなかったことですが、周りから僕の瞳についての変化を指摘されるよりも前に、周りの人の瞳の中に変化を見ていたことは、確かでした。
世界の何かが「美しい」と感じるのは、自分の何かが、ひとつ美しくなった証なのでしょうか。
そして、本来世界のすべては美しく、瞑想はそんな「本来」へと、静かに還してくれるものなのかもしれません。
そんなことを感じました。