瞑想が開く、言葉にならない感覚のこと。
きょうもFM88.8 瞑想RADIOまでアクセスいただきまして、ありがとうございます!
今朝の毎朝誘導瞑想でのお話は、
『しばらく瞑想をしたあとで、目を開いたときに感じるもの』
『ジャプーヒーリングを受けた直後、目を開いたときに感じるもの』
そんな感覚にも近いお話であったように感じましたが、皆さんは、いかがでしたでしょうか。
人が幸せになることから遠ざけるものは、プライド、恐れ、欲。
畏敬の心・畏敬の存在感覚によってのみ、
そのプライド、恐れ、欲は、解放できる。
瞑想は、畏敬の心と、畏敬の存在感覚を開かせるもの。
といったメッセージでした。
『プライド、欲、恐れ』
・・これらは、人や物事の「一部分」だけしか見ていない(見えていない=執着)ときに、自然と抱くもので、
『畏敬の心(愛)』とは、人や物事の一部分ではなく、「全体」を見ている(見えている=手放す・統合)ときに、自然と抱くものではないか。
このように感じました。
瞑想は、自然と不要なものを手放し、偏りのない全容的な視点(存在状態)を開いて、分離から統合へと、その意識のプロセスを進めます。
バランスの取れた、自然で偏りのない水平状態(ゼロ)で在るとき、つまり、水平線で全体と繋がっているがゆえの畏敬の心、愛であるとき、その畏敬の心や愛を前にして、プライド、恐れ、欲といったものが存在できないのは、ゼロに何を掛けてもゼロにしかならないことと似ているようです。
プライド、恐れ、欲とは、一部分だけしか見えていないものがイコール世界であるという勘違いと幻想の上に成り立っているチカラのないものですが、畏敬の心と愛であるとき、全体性という真理、実在に立脚しているので、全容的な(宇宙からの)サポートを享受しながら、実在は実在を動かすこととなり、現実創造にモノをいうようになるのだと思います。
言葉にならないけれど、とても大切な極地、感覚を、懸命に伝えようとして下さっている先生の言葉の行間、静寂に
『しばらく瞑想をしたあとで、目を開いたときに感じるもの』
『ジャプーヒーリングを受けた直後、目を開いたときに感じるもの』
を見て、自分なりに綴ってみたくなりました。
ありがとうございました!