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FM88.8 瞑想RADIO

瞑想のある毎日。

『意識が自分の世界を作っている』が、分かりやすく説明できるかもしれない話。

きょうもFM88.8 瞑想RADIOにアクセスいただきまして、ありがとうございます!

『意識が、世界を作っている。』

瞑想を学んでいる方や、スピリチュアルなことに興味のある方は、必ず聞いたことのある文言だと思います。

そして、「確かに、結局自分が、全部作っているんだ!」ということに、気づき始めているかもしれません。

では、ここまで気がついているのに、自分の世界が実際のところ「自由自在」ではないと感じてしまうのは、なぜでしょうか。

今回の話は、そのヒントになるかもしれません。

そもそも、「意識」とは何なのか?

「意識=世界」であるとき、世界を自由にコントロールできないのは、意識をコントロールできないからである、という因果が成り立ちます。

瞑想を始める人というのは、多かれ少なかれこの因果に気づいて、「意識を変えるものこそ、瞑想である。」という予感が、薄っすらとでもあるものです。

ただ、瞑想者が相手にしている肝心の「意識」というものが、実際は何であるのかということを、明確に、誰もが分かるように説明している人や著作物に出会えるのは、とても稀であると言えます。



そもそも、「意識」とは何なのか?

それが分かれば、世界を作っているものの正体や、その要因を突き止めることができて、「自由自在」に、生きることができるようになりそうですよね。



そんなことに想いを馳せていたとき、当ブログFM88.8の電波に、ある仮説が降りてきました。


単刀直入にいきますね。

 

意識とは、「言葉」である。


ー そんな仮説です。

例えば、

「自意識」に苦しんでいる赤ん坊なんて、聞いたことがあるでしょうか。

人からの視線や評価が気になって仕方ない赤ん坊も、まず居ないと思います。

それは、きっと赤ん坊の「言葉」がまだ未発達であるからで、成長過程の中で自意識が強くなってくるのは、その中で単純に、「言葉」の発達を伴うからではないかと思うのです。

 

例えば、

人は動物よりも意識が発達していると言いますが、その理由も単純に、人が「言葉」を使ってコミュニケーションする生き物だから、と見ることができると思います。

ここで、瞑想を例に・・

では、「意識=言葉」説を、瞑想の中で見てみます。

よく、『瞑想をすると意識が変わる』なんて言いますよね。

それは本当にその通りで、瞑想を実習していく中で、滞りとなっているストレスや諸々の詰まりを溶かしてあげることで、その結果、人生への深刻さが落ちて、世界を俯瞰(ふかん)して見ることができるようになることで、『世界の見え方が、今までと何となく違う・・』といった体験をします。

これは、瞑想によって意識がより精妙になることで、世界もより精妙に見通すことができるから等、いろんな説明ができると思うのですが、もっと単純に、次のようなことが言えないでしょうか。


瞑想をすると、世界を一歩引いた場所から見えるようになることで、自分の内で起こっていることにも気がつくようになってくるのですが、そこでまず一番最初に気がつくものは、「雑念という名の、心の独り言」、つまりここでも、「言葉」であると思います。

嫌な気持ちを引きずっているとき。

「嫌だなぁ」といった言葉や、それに付随するような言葉が自分の心の中で鳴り続けているものですが、いったんこの「言葉」たちにスポットライトが当たったとき、その言葉には必ず、微妙な変化が加わります。

「微妙な変化」とは、心でリピートされているその言葉自体にそれほど深刻にならなくなったり、その言葉から少し自由になったような感じがしたり、言葉そのものからの影響力が変化したりすることを指します。

つまり、この観点から、誤解を恐れず大胆に定義してみますと・・

「瞑想によって意識が変わる理由」は、瞑想をすることによって、自分の内側にある「言葉」(内的言語)に気がつき、その「言葉(による影響)」が変化するからである、と言えないでしょうか。

 

そして、「言葉」と一口に行っても、粗いものから、精妙なもの、例えば「マントラ」のような、「言葉」という次元を超えたものまで、多岐に渡ります。

そんな「マントラ」によって、深い瞑想(純粋意識)に入っていくことができる過程にも、宇宙創造の元種であるマントラのバイブレーションに自らが同調して、意識がその純粋で精妙な領域に達するという、言葉(マントラ・言霊)と意識の関係性を、ダイレクトに見ることができます。

自由だけではない、「自由自在」を生きる。

「言葉が、自分の世界を作っている。」


そんな仮説についてのお話でしたが、普段使っている言葉を変えてみる(見直してみる)ということも、一つ有用だと思います。

ただ、おそらく本当に世界を作っているのは、通常認識には上ってこないくらいの心の領域で、ずっとリピートされ続けている「言葉」のほうです。

アファメーション(宣言)など、頭で認識できる言葉の振動数の領域よりも、ずっと深くで鳴り続けている「言葉」。


これを変えるには、どうすれば良いか。


そこで登場するのが、瞑想・・・ 中でも、マントラの精妙な働きによって、空や純粋意識といった、深い領域に至る瞑想です。

 

純粋な意識から発せられた正しい「言葉」は、必ずや、深層の意識下でリピートされ続けている「言葉」に変化を与えるはずで、今このことに、とても関心があります。


どんな瞑想法でも、ある程度心に余裕ができて、「自由」や「解放感」を体験することができるかもしれません。

ただ、その中で「言葉(言霊)」によって、自由に現実を作っていくことのできる『自在』の境地(=自由自在)を生きることこそが、人生の醍醐味、「人生をフルに生きる」ということだと思います。

 

元々「自由」であった場所を敢えて出て、この制限だらけの世界に生まれ落ちてきたのは、「自由」を超えた「自由自在」という「神性」に、目覚めるためなのではないでしょうか。

 

瞑想と、空と、言霊。

このすべてが統合される場所を想うだけで、どこか、身震いするものがあります。

これを発見し、生きないと、この世を去ることができないような感覚は、使命感というものでしょうか。



ー 『空の瞑想』というものに出逢ったからには、必ずや、形にしたいものです。

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ありがとうございました!